ポーポー(パパイヤ)の新芽
海が笑った!!
それは昨日の出来事。
いつもおっぱいを飲み終わると、満足そうな顔をするのだけれど、それが曖昧な時に、ちょっと乳首で、どうなの?もうおしまい?ってつっつくことがある。そうしたら、舌で全てを押し出す動きをしてから、お得意の「もうけっこうです」顔、下唇をぶーって突き出す表情をした。まぁいつものことなんだけど、この顔がかわいくって!そこまでぶーって嫌がらなくてもいいじゃん、って顔。
で、私がくっくっくっくって笑ってたら、その顔を見て、にぱぁ〜〜って笑った!!
最近はクーとかうーとかって、よくしゃべるし、アイコンタクトもばっちりなんだけど、これが私への最初のスマイルかな?
数日前から、これって笑ってるの?どうなの?っていうのはあったんだけどね。特に、JBさんがピカブー(いないいないばぁみたいの)をする時に、笑ってる風だったんだけど、でもまだおならしたい時に笑ってるみたいに見えたりとか、笑っている風に見えても、本当かな?って思うこともあったから。いや、あのピカブーへの笑顔もおそらく笑ってたんだろうな。
で、笑顔が見えると、突然、ものすごく意思疎通できてる気になるね!目を見てのおしゃべりもそうだけど、なんか、キャッチボールのボールががっつり返ってきた感じがする。うれしいもんだねぇぇ。すっごくかわいい。
体重は、先週の火曜日に4.95kgだったから、もう今週あたり、産まれてから約2倍になるんじゃないかなぁ。もももむっちむちで、よく育ってる。
ここ一週間は、夢うつつ授乳っていう、夜の10〜11時頃に、眠ってるまま授乳するっていうのもやめて、そのまま夜中一回起きるだけで、朝まで寝てくれるようになった。
夢うつつ授乳は、やめたというよりかは、授乳しようとしても、寝ながら、例の下唇をつきだす顔をして、全面拒否されちゃうんだよねー。なんか、無理強いしてすんません、って気持ちにさせられる笑。
なので、もう必要ないんだろうって、思ってやめた。
そうしたら、今まで、だいたい夜中の2時頃に起きてきてたのが、3時半とか、4時頃になった。8時に最後の授乳するから、7時間くらい続けて寝てくれるようになった。今日なんか、4:50まで寝てた。8時間以上!7週目でこれはだいぶありがたい。
みおが2ヶ月半の時に出会った本に助けられて、そのやり方を、海にもしてるんだけど、今回はなんだか色々すんなりいってる。これは、このやり方を始めた時期が早かったからなのか(生後2週間で始めた)、海がとても順応性のある赤ちゃんなのか、私が二回目で慣れてきたからか…。たぶん、その全てなんだろうな。
そのうち、そのやり方も書こうと思う。人それぞれ色んな育て方があるけれど、私たち夫婦には、とても合ってると思う。
さて、海の誕生日のできごとの続き。
私が、Assessment unit にひとりで、あー赤ちゃんん降りてきてるー…って思ってた時のこと。
廊下へ出て知らせるべきか。
ここから大声で呼ぶべきか。
誰か来るまで待つべきか。
廊下をうろうろ歩いたら、赤ちゃん出てきちゃいそう。
なんか、大声出したり叫んだりする気になれない。また聞こえなくって何度も大声出すハメになりそうだし。
誰か来るまでって…いったいいつ?!
なんて、いろんな考えが、頭のなかグルグルしているうちに、看護師さんが部屋に入ってきた。(誰が看護師で誰が助産師なのか、私には区別がつかなかったけれど、JBさんが言うところには、この時の女性はたぶん看護師。まぁどっちでもいいんだけどさ)
私は、安堵するというよりか、波の狭間で忙しくって、あ、いたの?って感じだった。
で、もう赤ちゃん降りてきてる気がするんだけど。って言った。
[この辺りの記憶がちょっとおぼろげ。波が頻繁に来るし、それもかなりの勢いで。それに合わせて、かなり集中して呼吸をしていたから(Slow breathing)、周りのことにあんまりかまっていられなかった]
後からJBさんに聞いたところによると、JBさんが Interview room に戻って、ジャッキーに連絡とったりしていたら、看護師さんが慌てふためいてやってきて、「もう産まれそうだから早く来て!」って呼ばれたそうだ。
そういえば、今一生懸命この時のこと思いだそうとしたら、うーっすらと、「ご主人呼びますか?」って聞かれたような気が…する…かも…。それで「はい、お願いします」って言ったような気が…しなくもない…。(超あいまい)
私はといえば。
部屋のなかで、ものすごく集中して呼吸をしていて、意識はすべて、自分のからだの中にあった。
まだベッド脇に立っていて、例のゆ〜らゆ〜らをしていたんだけれど、看護師さんだか助産師さんだかに言われて、ベッドの上へ移動。
ベッドの背は、もともと起こしてあったのか、起こしてもらえるように頼んだのかは忘れちゃったけど、起こせるだけ起こしてあって(あ、赤ちゃんの心拍測ったりしてる時にもうある程度起こしてあったわ)、そこに、仰向けに寝るというか、座ってくださいと言われたのは覚えている。
でもお腹が痛い時って、こう、前かがみになるじゃない?おなかを抱え込むように。そんな時に、おなかを上にして寝ろと言われても、すっごく不自然な気がした。
なので、こっち向きがいいの!と言って
(実際には、こっち向きでもいいですか?)、そのベッドの背に向かって膝立ちのような格好をした。で、ベッドの頭の部分を手で掴む、というよりは、肘を立てて両腕の上におでこをくっつけるような姿勢をとった。
これでもういつ産まれてきても大丈夫!って思った。
下が固いか、柔らかいかっていう、漠然とした感覚で、安心感が生まれて、妙な自信もむくむく出てきて(妙でもないけど)、今おそとに出してあげるね!って思った。
(ベッドに移動して、って言われた時は、もう面倒臭いな、今集中してるからそれどころじゃないのよって、実は思ってたんだけどね)
たぶんこの時、それまでしていた Slow breathing を、Birth breathing に切り替えたんだと思う。
記憶は曖昧だけど、その時の自分は、自分が何をしたらいいのかはっきりとわかっていたし、その時自分がしていることに対しても、絶対の自信があった。それに、体の感覚もすごく鋭くなっていたと思う。
私は、もともと超が付くくらいの楽観主義なのだ(典型的な射手座)。あと、ここぞって時に湧いてくる、根拠のない自信。これに人生助けられてる部分が多々ある。
その自信に、根拠がある時もあるんだけど。ない時の方が多いかも。根拠がないというか、はっきりとした理由がないけど自信はあるって言った方が正しいかな。でも、自分の直感を信頼しているので、自信はそこから来るのかもしれない。
直感を信じないで、別の選択をして後悔することはあっても、直感を信じて後悔したことって、あったっけな?
その、絶対なる自信が、崩れたことが、一回だけ、ある。
一回だけ、と言っても、常に何に対しても自信があるわけじゃあないから、絶対に大丈夫だと信じて疑わなかったことに対してだけ、でね。
その一回、とは。
一昨年のできごと。
みおの時も、妊娠・出産に関しては、全く不安にならなかったのだ。なんであんなに自信があったのかわからないけれど、妊娠も楽しんだし(つわりと腰痛以外)、出産に対する不安っていうのが一切なかった。後に、ヒプノバーシングを通じて、出産に対して恐怖心を抱く女性が多いことに驚いた。でも、その事実を知っても、ヒプノバーシングのおかげか、そちら側に傾くことはなかった。
だから、次の子を妊娠した時も、何の心配もせず、その自分の絶対なる自信の上にいた。検査でもエコーでも、つわりで辛くってもなんでも、絶対に健康な子を産むものだと思っていた。
でも、12週目。
ダウン症の検査をするエコーの予約の日が近づいてきた、その数日前に、ピンク色のおりものが出た。
この時は、まださほど心配もしていなかったけれど、何かわからなくて不安なよりも、その原因がわかった方がいいと思い、病院へ向かった。
日曜日だったので、救急扱い。
病院にいる間に、ピンクのおりものが、そんなに量は多くないけれども、鮮血に変わった。でも、日曜日なので、専門の医師に診てもらうことはできず、そのまま帰宅。翌日の産婦人科の予約を入れておいた。
翌日、月曜日。予約の時間の一時間くらい前、下腹のあたりが鈍く痛い…。
…と思っていたら、何かが弾けたような、みおが産まれた時の破水にも似た感触が、ポンっと、下腹の辺りでした。
そして、出血し始めた。
夜用のナプキンを当てて、病院へ向かう。
JBさんに、大丈夫?(気持ちの面で)、と聞かれても、表面上はなぜかすごく落ち着いていた。でも頭の中が、脳みそが熱い。
病院に着き、すぐにエコーで診てみましょうと言われ、部屋を移る。
おなかにジェルを塗られて、sonographer(日本語だと何ていう?エコーをする人)が、私のおなかを診ている。ずーーっと、ずーーーーーっと診ている。
そして、彼女が言った。
"I can't find any pregnancy. No heartbeat nor baby."
「妊娠が見受けられません。心音はおろか、胎児すらも見つけられませんでした」
………その前日も、その日の朝も、病院へ出かける前に浴びたシャワーの時でも、まだ希望は持っていた。シャワーでは、一生懸命、「一緒にがんばろうね」って、おなかに向かって話しかけていた。
でも、おなかで何かが弾けて、その直後に始まった本格的な出血を見て、その時、自宅のトイレの中で、初めて、もうダメかもしれないと思った。
医師は、早い段階で流れてしまったのだろう、と言った。
6週目のエコーの時には確かに赤ちゃんは私のおなかの中にいたし、心拍もあったのだから、6週から12週の間だろうとのこと。
その日、病院の帰りに、お昼もとっくに過ぎていたけれど、レストランで食事をし、そのショッピングエリアのトイレへ行った。
その時、何かが出てきた。
胎盤か何かかもしれない、と思って、トイレに流すことができなかった。
それから二日経った水曜日。
なんだか、まだ何かが産道にある気がしてならなくて、もう一度病院へ行った。
診察の結果、また、二日前に見たような、赤い小さな胎盤のようなものが出てきた。
一応、二日前に取っておいたものも、持ってきていたので、医師に見せた。
すると、月曜日の子も、この日の子も、両方とも、胎児だった。
小さな袋に、小さな胎盤と一緒に入っているんだって。
私達が見たのは、そのふたつの袋。ふたごちゃんだったんだ。
7〜8cmの細長いふたつの袋、その中に、ちいさな命がひとつずつ。
守ってあげられなくて、あまりにも小さくて、あまりにも愛おしくて、涙が出た。
月曜日までは、ずっとおなかの中にいたんだね。
あの、何かが弾けて出血が始まった時に、子宮から出てきてしまったんだ。だから、エコーに写らなかったんだ。
そうして、ひとりはその日のうちに出てきて、もうひとりは、産道のどこかに、まだいたかったのかもしれない。
もう、かわいそうで、いたたまれなかった。愛おしくて仕方がなくて、抱きしめたいのに抱きしめられない。
あの時、トイレに流してしまわなくて、本当に良かった。
そして、この時、看護師さんに、その子も持って帰ってもいいですか?と聞いたら、かなりびっくりされ、そして医師から、週数と法律の説明を受けた。何週目かを過ぎると、死産扱いになるとか、そうすると遺体をただ持って帰るのは違法だとかなんとか、もう忘れちゃったけれど、なんだか、傷付いた。私が、ではなくて、このふたごちゃんのことを思って、その事務的な対応に傷付いた。
そして、イギリス出身の看護師は、この週数での胎児を持ち帰りたいっていう人は初めてだ、と言い、あからさまに驚いていた。
その驚き方に、私は驚いた。
じゃあ、持って帰らないの?
そこの、医療用のゴミ箱に、さっきまで自分の体の中にいた、数日前まで生きていた(であろう)赤ちゃんを捨てて帰れる親って、いったいどこにいるの??
さらに、その医師は、私は今二歳の双子の娘がいるんだけれど、双子はおススメしないよ〜。もう本当大変!と言っていた。
なんでだろう?そんなこと言えちゃうのってなんでかな?
本当によくわからなかった。
少しでも落ち込まないように、気を使ってたんじゃないかな、と、帰り道にJBさんは言っていたが、あまりにデリカシーがなさすぎる気がした。
帰ってきて、うすい桃色の布に包んで、庭のマカダミアの木の横に埋めた。
実は私はもう大きい方のマカダミアの横にって、思っていたんだけれど、JBさんは、私たちが2年くらい前に植えた方の、まだ1mくらいの赤ちゃんマカダミアの隣に穴を掘ってくれたので、そっちに埋めた。あかちゃん同士だから、こっちの方がよかった。
みおも一緒に、埋めるのを手伝ってくれた。
やさしく、手で順番こに土をかぶせていった。
そして、皆でお線香をあげた。
彼には、まだ理解するのが難しかったと思う。
土に還るんだよ、back to the earth だよ、って伝えた。
みおはその後、しばらく、この表現を使ってた。なんだか、すごくやさしくこの表現を理解して、使っていたように思う。
短い間だったけれど、私たちのところへやってきてくれてありがとう、と思った。
短い間だったけれど、せいいっぱい愛していたよ。
私には、一歳年上のふたごのお姉ちゃんがいる。死産だったのだけれど。
なんだか、今回のふたごちゃんたちと、少し重なってしまうのだ。そのせいか、このふたごちゃんたち、まだ性別もわからないはずなのに、どうしても女の子たちだった気がしてならない。不思議なんだけど。
そうして、改めて、あかちゃんを授かること、受精して、妊娠して、出産するっていうことは、奇跡が重なり合ってできることなんだなぁと感じた。
健康に産まれてきてくれたみおに、本当に感謝。
そのことに気付かせてくれた、ふたごちゃんにも感謝。
でもこの時は、みおがいて、本当に本当に幸せだと思った。彼がいて、救われた。まだ2歳と数ヶ月だったみおが、やさしくて、純粋で、ただそこにいてくれるだけで救われた。